第24回総会学術大会を終えて(実行委員長を経験して)

酒井 良介
 

 猛暑が続く7月24日・25日の2日間、千葉市文化センターにて第24回日本核医学技術学会総会学術大会が幕を開けた。実際は前日の23日に実行委員会企画である放射性医薬品製造工場見学の集合場所に参加希望者の出発を見送った時から、いよいよスタートしたのだなと実感が湧いてきた。
 思い起こせば、1年前の金沢にて正式に千葉での開催を承認され、実行委員会を組織して準備を進めて来た。順調のはずだったが、第1の難関は演題が思うように集まらず、締切1週間前でも目標までほど遠い数だったことである。しかし、学術が先頭に立ち演題集めに奔走した結果、締切直前にどっと押し寄せ予想をはるかに上回る演題数が得られたことはうれしい悲鳴であった。金沢の演題数を参考にして3会場を確保していたのは正解だった。願わくは、この大会の意義は会員が発表するための場であるので、自主的に早い時期にエントリーして頂ければ、間際になってそんなに慌てなくても済んだかも知れないと思うのは実行委員会の我が儘だろうか?。ちょうど、演題締切時期が春の日本放射線技術学会総会開催と接近しており、その影響もあると思われた。しかしながら、本部編集委員会に発送するプログラム及び抄録ならびに講演原稿の期日を守れたことは、学術と総務のおかげで面目が果せた。第2の難関は7月に入ってからも紆余曲折を経てようやく決定された事柄が多く、そのために開催間際までマニュアル作りが難航したことである。しかし、完璧な実行委員マニュアルが出来上がったおかげで、当日実行委員やボランティアの方々も迷うことなく、自分の役目を把握してすんなり入り込むことができた。
 今回はPC発表のみでしかも各自PC持参という形に統一したため、PC接続トラブルが懸念されたが、第1会場で途中に躓いた以外にはたいしたトラブルもなく時間が進んでいった。反省材料としては、第2会場のPETセクションに大勢の方が集まり会場に入りきれなかったことで、話題性を考えると第1(メイン)会場に割り振ってもよかったと悔やまれた。第1会場がやや遅れ気味なのが気になったが、欲張ったプログラム編成のため、休憩時間がほとんどない状況なので、ただただスムーズに進行していくのを祈っていた。幸いにも大会長講演で時間調整してもらったために遅れを取り戻すことはできたが、大会長には申し訳なかったと思っている。
 海外招待講演は、Lyn M. Mehlgerg SNMT前会長によるSNMの背景およびSNMTSの活動についての講演であった。女史はたいへん気さくな印象を受けたが、前夜に紹介された時、"Nice meet you!"しか言えなかった自分が情けなかった。
 特別講演Tの蓑島先生の話では、核医学検査に要求されるのは「Accuracy and Efficiency」で、どれだけ早く検査を効率よく行い、その結果をどれだけ早く臨床の先生に伝えることが重要であると言われたのがとても印象的であった。
 特別講演Uの岡野先生には、再生医療について最先端の話をして頂いた。心筋細胞シートがシャーレの中で拍動している姿は鮮烈な印象であった。まさに未知の世界に挑戦する研究であると改めて驚嘆させられた。
 休憩を挟んで市民公開講座が始まり、一般市民の聴講者がたいへん気になったが、点々とではあるが着席して熱心に聞いておられる姿を見て、まずは胸をなで下ろした。後で40名程の一般市民の方々が会場に来られていたと聞いた。5F市民サロンで開催されていたPET展も、班員の方の熱意によって順調に企画準備がなされ、パネル展示・症例の供覧・PET/CT機器模型の展示・ビデオ放映・PET検査実施施設の紹介などの構成により、一般市民の方々のPETについての理解が深まり、より関心度が増したのではないかと思われた。欲を言うと、マスコミ等を利用してPRすれば、もっと参加者が得られたのではないかと感じた。さて、第1会場ではこの日最後のプログラムとなる文化講演の西尾先生の話が始まった。私が司会を担当したので、唯一じっくり聞けた講演でもあった。南極というと、白夜・オーロラに代表されるたいへん神秘的な世界と最低温度が−89.2℃を記録したという酷寒の世界でもあるが、南極観測によりオゾンホールの発見や地球温暖化の兆候など、"南極は人類に地球環境の大切さを認識させる宝物、そして未来を写す鏡"という先生が掲げられた表題の意味の奥深さが伝わってきた。
 講演終了後、隣のホテルサンガーデン千葉にて懇親会が始まった。總州太鼓の見事なバチさばきでオープニングセレモニーが始まり、当学会名誉会員である放射線医学総合研究所の佐々木先生から挨拶を頂戴し、鏡割ではお世話になった相談役の先生方に壇上へ上がってもらい、かけ声と共に楽しい一夜の幕開けとなった。バックグランドミュージックの演奏を背に歓談が盛り上がった頃、実行委員会一押し企画としての癒し系のフラダンスの踊りが始まった。皆さん話すのも忘れてステージに釘付けになり、音楽に合わせて踊りのレクチャーを受けたりして大いに場を盛り上げてもらった。本当にあっという間に時間が過ぎてしまった感じがした。
 2日目は、早朝8時50分より各会場一斉にスタートした。今回学生セクションを新たに企画したが、演題募集時が年度代わりの難しい時期にも係わらず、最終的には6演題のエントリーがあり、ご協力して頂いた先生方にはたいへん有り難く思いました。辿々しい発表や会員顔負けの堂々とした発表もあったが、なんと言っても座長の労を取られた畠山先生の寛容な進行には感銘を受けた。是非、来年も継続してもらいたいセクションであった。教育講演は、千葉県で開催する時は是非講演を依頼すると決めていた千葉県がんセンターの木下さんに"放射性医薬品が付着した個体状医療廃棄物の望まれる管理とは"というこの数年取り組んでいるテーマを話して頂き、クリアランスレベルの導入についても言及してもらった。ワーキンググループ報告は「機器メーカーは標準化のために何ができるか」という表題で、ワーキンググループメンバーと機器メーカーの代表者が片淵先生の司会でアンケートの結果をもとに討論会を行った。これからもこのように本音で話し合いができる場を大いに設けてもらいたい。大会の最後を飾るシンポジウムは、当初よりテーマの選択に難航したが、あえてこれから我々も考えていく必要がある"EBM"を取り上げた。EBMの概念から、すでに実践されている看護部門、放射線治療における導入、JET studyへの取り込みということで各シンポジストの方に話をして頂いた。討論時間では、思ったより会場からの意見が少なく、このテーマの難しさを実感すると共に、進行役である大屋・新尾先生の苦労を察した。このテーマは次回の仙台に引き継ぐことを知り、今回は核医学技師がどのようにEBMを実践していくかの第一歩と捕らえて頂ければ、今回のシンポジウムはたいへん意義があったのではないかと思われた。本来なら、これをもって全プログラムを終了するはずであったが、厚生労働省より、「PET検査に関する医療法施行規則の一部を改正する省令(案)について」の意見募集があったため、急遽、緊急討論会を開催する運びとなった。木下担当理事がモデレータとなり、配布資料をもとに事情を説明して会員の意見を尋ねた。このように臨機応変に対応できたのは会場担当が機転をきかせてくれたおかげであった。
 お陰様で、過去最高の600名を上回る参加者があり、懇親会も250名という予想以上の結果が得られて盛会に終了することができました。正直言って直前まで不安が付きまとっていましたが、各実行委員の方々の大会を成功させるという意気込みとパワーが集結できた証拠だと思っております。第24回大会が少しでも参加した皆さんの印象に残って頂ければ、実行委員会一同幸いです。

 なお、来年の第25回大会は高橋堅治大会長・阿部養悦実行委員長のもと杜の都仙台にて開催されます。今年以上に盛会に開催されることをお祈りすると共に、私自身は単純に学会を楽しむ気持ちで参加したいと思っています。
 最後になりましたが、前回開催の金沢の皆様には、いろいろとノウハウを教えて頂き、誠にありがとうございました。またご支援を頂いたメーカーの方々、ご指導・ご鞭撻を頂いた小堺学会長はじめ本部役員の方々に厚く感謝いたします。